第46話  鶴岡・菅原釣具店            平成28年12月15日  

大正時代から昭和初期の頃の鶴岡には十日町に菅原釣具店、大八木釣具店、上肴町に三浦釣具店、七軒町には皆川釣具店等そうそうたる名店が立ち並んでいた。当時は、東京で作られた釣鈎は黒鯛や真鯛を釣った時に折れたり曲ったりと云う事が多く、大変不評であった事から各店では独自の焼き入れ法を編み出しその術を競い合っていた。それらの鈎は後に鶴岡鈎と呼ばれている。
中でも鶴岡の現在鶴岡市の本町一丁目にいわくのありそうな大きな釣具店が、今に残っている。店内に入ると、両側の棚に所狭しと数多くの庄内竿が展示されている。その釣具店の名を、菅原釣具店と云う。明治元年(1868)の創業で、鶴岡に残っている釣具店では最も古いとされている名店である。

 この店の何代目かの店主菅原健二郎(1901年)は、名人と噂の高い竿師上林義勝(18541938)に師事された数少ない竿師の一人であった。この人によれば、竹の採取は9月から11月とされ、3年子を取ると云う。掘り上げた竹は枝を落とし、根についた泥を洗い流す。節についたささくれや付け根を小刀で竹肌に傷を付けぬようにきれいに落とし、竹洗いの段階で竹肌を良く磨き、節についている黒い油かすを取り除く。その後天日でよく乾燥させる。すると青味ががっていた竹肌は、次第に白く変色してくる。
 その後第一回目の荒ノシを行う。曲っている竹を火に当てて、真っ直ぐにする。竿を矯める矯め木は、山桜、ツバキ、ホウノキ、キリなどを使い、大抵自分で作るが太さ、角度の異なるものを何本か作る。
 竿竹の伸しは、非常に神経の使う作業で竹肌を焦げ付かぬよう限界まで火に当て、竹の癖を良く見抜き、矯め傷がつかぬよう無理せず行う。この第一回目の荒ノシの段階で竿の良し悪しが決まってしまうと云われている大事な工程である。
 数日於いて次に本ノシを行う。節と節の間を真っ直ぐにする。節と節の曲りを矯正する為に矯め木を当て曲りの角度に応じて矯め木を変えて行く。その後、煤棚(すすだな)に上げて釣竿を保管する。煤棚とは、竹竿にいろりに火を入れて煙を当ててあえて煤を竹竿に吸わせる為に作った棚を云う。竹に煤のヤニが浸透し、漆の様な茶色の色合いが定着して行く。この工程は、4、五年続く。その間一年に一度竹竿を取り出して、矯めを繰り返し矯正して行く。やがて竹竿は、庄内竿独特の濃い飴色の竹肌に変化して行った時、かっちりと締まった釣竿へと変化して行く。菅原健二郎が作っていた頃は、そんな昔ながらの作り方をしていた竿師が残っていた。
 数年前、菅原氏が昭和30年代に作られたと思しき釣竿を二間半から四間弱の4本、菅原釣具の竿の愛好者であった前原氏に頂いた。その竿はすべて定石通り漆の様に真っ茶色の飴色染まっている。但し、残念ながら、それらの竿はすべて当時全盛だった中通し竿に改造されていた。その釣竿のすべてが大型黒鯛、真鯛を釣ったとしてもビクともしない堅くきっちりと締まった釣竿であった。鶴岡の大物釣りの釣師たち好みの釣竿である事に感心させられた。